本屋の歴史

本屋

ネット書籍などの影響により、多くの書店、古本屋がつぶれています。
自分も行きつけの書店がつぶれてしまいかなりショックです

書店調査会社のアルメディアによれば、1990年代末に2万3000店ほど存在した全国の書店は、2018年時点で1万2000店ほどにまで減少してます。ネット販売や活字離れもあって、書店は厳しい状況に置かれている昨今、このブログでは本屋の栄枯盛衰を調べてみました

日本における書店の歴史

はじめて日本で「本屋」と名乗ったのは、本屋新七(ほんやしんしち)という人物だと言われています

本屋新七は、江戸時代1609年(慶長14年)に京都で「古文真宝」(こぶんしんほう)という、中国の漢の時代から宋の時代までの漢詩などが書かれた書物本を出版しました

そして本屋ができて80年後には、日本には400軒ほど本屋ができ、その9割が京都にあったと言われています

当時は、教養を身に着ける本しか売られていなかったので、まだまだ娯楽的な小説などはありませんでした

江戸時代の中期には、本屋の中心地から離れた江戸でも本屋が盛んになり、出版の中心は京都から江戸へと移動していきます

そして、江戸時代の中期から後期に、とうとう娯楽の本が登場しました

江戸で出版された大衆向けの本のことを「地本」(ぢほん)と呼びます

洒落本

吉原などの遊郭を舞台に、客や遊女の言動、内部などをおもしろおかしく書いた本。大きさがこんにゃくに近いことから「こんにゃく本」と呼ばれたそうです

滑稽本

町人の生活をおもしろおかしく書いた本。有名なのは、十返舎一九『東海道中膝栗毛』。弥次郎兵衛と喜多八が東海道をめぐるお話です

人情本

町人の生活のうち、色恋沙汰を書いた本。悲しい恋の話もあり、泣く場面が多かったことから「泣本」とも呼ばれたそうです。人情本は女性のファンが多かったらしいです
今も昔も、恋愛小説には女性のファンが多いみたいです

黄表紙本

マンガの原型のようなもの。イラストが入っており、風刺がきいた大人向けの読み物だったそうです。

今とは形式が違う、本屋さん

ただ現在とは違い、販売だけではなく、印刷も兼ねていました。

しかも、自分のところだけでなく、他の業者の出版物や、古本も扱っていたそうです。
当時は手書きの本のほか、文字や絵を反対向きに掘った木の板で印刷する、木版印刷で出版されていました。

しかも、自分のところだけでなく、他の業者の出版物や、古本も扱っていたそうです。
当時は手書きの本のほか、文字や絵を反対向きに掘った木の板で印刷する、木版印刷で出版されていました。

出版と販売が分業されたのは明治に入ってからですが、今でも出版と販売を兼ねている本屋が存在しています。

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