本当に問題なのかシリーズ|発達障害

現代矛盾

発達障害とは

不注意・多動性・衝動性の3つの症状を特徴とする障害です。 不注意は集中力が続かず注意力散漫な様子、多動性は落ち着きがなく行動をコントロールできない様子、衝動性は衝動的な感情を抑えられない様子が見られることを意味します。

代表的なものとしておの三つが挙げられます。
       

障害ではなく個性ではダメなのか?

しかし子供であれば、どこかに飛び出して冒険したいという気持ちはあるでしょう。それに子供特有の無尽蔵な体力が加われば、体が勝手に動いてしまうものです。また部屋にこもって1人で黙々と遊んでいるなど、果たしてこの二つの行動は発達の障害になりうるのか、発達障害と言う名前でなくてはダメなのか。
これは子供の変化というよりも保護者の変化が大きく原因しているのです。

発達障害は親から教育が学校に移った証

教育というものは大きな集団で行うものでした。近くには親戚の人がいて母親は常に家にいて子育てをしていました。しかし時代の変化から、共働き核家族など、子供の面倒を専属で見る人がいなくなってしまったのです。そして教育と言うものは学校へと丸投げされた。
学校は集団行動を基本として動いており、その中で和の中に入れない、また和を乱す行為は厳しく教育をすることになります。そのためADHD(多動症)や自閉症などが困ったことして取り上げられるようになり、最終的には発達障害と言うレッテルを貼られるようになりました。

今こそ多動症、自閉症を生かす時代

しかし時代とともにADHD(多動症)の子供はチャンスが回ってきているのです。この他の『オワコン化した義務教育』でも述べたように従来の受け身で工場労働者生産教育は終わりを迎えようとしています。
多動とは言い換えれば何にでも挑戦すると言うことであり、いつの時代もそんな人たちが新しい発見や、大企業を作り上げるなど、可能性を存分に秘めているのです。自閉症もそうです。一つのことに専念できる、他社へと変えがたい人材に育つ素質は十分にもているのです。

大企業ですら潰れてしまうご時世、多動でアグレッシブルな人は成功をおさめるひとや、何かを極める人が必要になってくる時代、そうじゃない人は一体どうなってしまうのでしょう。もしかしたら今、発達障害ではないと言われている人でも、将来はそんな人が発達障害をと言われてしまうかもしれません。

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